(8)
「何で驚かないんだよ」
保健医…校長はあからさまな不機嫌を微塵も隠さず聞いてきた。着替えの早さには驚くが、炭酸と微炭酸の違いくらいどうでもいい。
「こういう展開は馴れてるんです」
「馴れんなばか。ういしくない」
ういしくって何?と思ったけど言えなかった。不貞腐れてるんだもん。机に突っ伏して、どうでもいいと言いたげな顔して…実際どうでもいいんだろうな。きっと机の下で足をぶらんぶら〜んしてるに違いない。そこまでやる気を無くさなくてもいいじゃん。美しい顔が台無しですよ。
「………」
駄目だ。俺が驚かないのが相当気に入らないらしい。何これ?この状況が驚きだよ。
結局、校長室に入るところからやりなおし、俺のわざとらしい驚きのリアクションがツボにハマり、ご機嫌テンションに戻ってくれるまで20分を無駄に費やした。いたずらに時を過ごす大会があれば今の俺はいたずらに優勝する自信がある。
結論。この人の機嫌を損ねてはいけない。
「松がおもろすぎて腹痛い。慰謝料」
俺は心が痛い。慰謝料。
「で、松は何しに来たんだ?あっちの甲子園に向けてのネタ披露?」
「笑わせに来たんじゃないのは確かです」
「わかってるよ。松って可愛いからいじめたくなるんだよな」
ふ〜ん。でもさっきの不貞腐れはマジでしたよね?
「何か言いたげだなぁ松」
滅相もない。顔に出たのか?気を付けなければ。また機嫌を取る、もとい笑わせるのはごめんだ。絶対に嫌だ。俺はそっちの甲子園など目指してない。
「おいくつなんですか?」
「歳か?失礼な奴だな。まぁいいや。驚け今年で35」
へえ、35歳でその美貌。その幼さ。ある意味すごいよ。いや、そんなことを聞きたいのではなくて。
「何で校長が保健医やってるんですか?」
本来の仕事をせずに何してる。だいたい、そんなことしていいのか?資格とか色々問題があるんじゃないのか?
「保健医の方が楽しい」
「…」
「…」
それだけですか?
「……」
「……」
そうですか。
複雑な、でも常識的(ここ重要)な理由を期待したのに。まぁそこは何歩でも譲ろう。だが本来の仕事を放棄するのはどうだ?
「別に放棄してねえよ。これから仕事しようとしてるじゃないか」
そうだ。俺はこの人に何とかしてもらいに来たんだ。あれ?この人が自分から言いだしたんだよな。
「結局どうしてくれるんですか?」
「無かった事にしよう」
「…はい?」
「暴力事件はもみ消すに限る。学校は不祥事隠してなんぼだからな」
それはどんな儲け話だ。
「で、相手の高校はどこだよ?」
俺が向こうの高校名を告げると、校長は携帯を取出し電話を掛け始めた。
話の流れから、向こうの校長に直に電話したんだろう。何故番号を知っているという疑問は抱かない事にした。この人の言動や行動にいちいち考察するのは無駄なのさ。俺は電話の様子を眺めている事にした。
さて、向こうの校長がどんな人間か知らないが、なんでうちの校長はあんな偉そうなんだ?相手の方が年上だと思うけどな。でもあの人から敬語を発せられても似合わない。
そういえば試合はどうなった?無事に進んでいるだろうか。みんなには本当にすまないことをした。事件自体は収拾が付きそうだが、あわす顔がないよな。ってな事を考えてるうちに校長同士の電話が終わった。
校長は、電話を切るなり眉をひそめ、憐れむ表情で淋しそうにため息を吐き、俺に近付いて両手を肩に置き、首を左右に振った。
何ですか、その…手術に失敗した医者のような反応は?
「松すまない。もみ消す事が出来なかった」
そんなっ、大丈夫って言ったじゃないですか。先生、必ず助けるって言ったじゃないですか。妹を返せ!
……。一人っ子のくせに何が妹だ。思考能力が暴走してもう活動限界です。
ここは現実的に、今後の事を冷静に考えてみよう。
夏の大会に出れなくなった俺たち。対外試合も禁止され、新聞に載った俺は部員からクラスから学校から世間から蔑まされ、いじめられ、行く末は良くてひきこもり、最悪で自害。いずれにせよ、まとも人生にアディオス!
「松、しっかりしろ。理由を教えてやるから」
既に段ボールに入った捨て犬の心境でいる俺に、あなたは雨を降らせますか。いいでしょう聞きましょう。あなたの態度が原因じゃないでしょうね?
「最初から無理な話だったんだ、起きてもいない事件をもみ消すのは」
当り前だ。無いものは消せないし、そんなのカレーを食べる時に皿を汚さないくらい無理だし無意味。
(ん?)
「と言う事はどういう事ですか?」
この質問に、校長は不適かつ不敵な笑みを浮かべ、「だから…正直私は何で松が、そこまで、落ち込む、のか、が、わからない、よ。あっはっはっは」と、笑いを堪えたあまり言葉が途切れがちだったが最終的に大爆笑。
「……はぁ」
またまた騙された。今回は完っ璧にハメられた。ただがっかりするのと一度期待してからするのでは、物を落とすのと叩きつける位に衝撃の度合いが違う。思春期のハートは脆いんだぞ。この人は、俺が人間不信になったらどう責任取るつもりなんだろうか。
そんな俺の視線を、何をどう勘違いしたのか、校長は唇を近づけ……、口づけ……え!!!!!
「なっ、なんばしよっちゅうねん」
ぎりぎりで回避した。今のは危なかった。思わず出た意味不明な方言。博多弁+関西弁?どうでもいいよ。問題なのは……
「松、おまえ今あれだよなぁ?○○したろ」
「し、してませんよ。するはずあるわけないじゃありませんでしょう」
必死で否定したいあまり自分でも何を言ってるのかさっぱりわからん。
「まぁいいや。松」
「な、なんでしょう」
「ういしいぞ」
目的は達したと言わんばかりの笑顔で、校長は自分の机と椅子に戻った。もしかして、ういしくとかういしいって初々しいの事か?
ところで○○が何だったのかについて俺は語る気はない。なぜなら語りたくないからだ。
「まぁ今回は実際に相手を殴ってないのが大きい。良かったな、きゅうちゃんに感謝」
何事も無かったように話をまとめ始める校長。ちなみにきゅうちゃんとは、多分監督の事だろう。この人はそうやって幾人もの背筋を震わせているんだろうな。
その後はくだらない会話をした。いろんな事を喋って聞いた。よく笑った。楽しかった。後になって考えると、俺も校長もちょっとハイになっていたんだろう。できればこのまま終わってほしかった。しかし、ある大事な問題が残っていたおかげであんなことに…いや、今は言うまい。
(9)
「さて、これで松には貸し二つだな」
世間話も一息ついて、校長は唐突に恩着せがましく切り出した。
「何言ってやがる二つ目は被害をこうむったから±0!むしろ何か返せ」と、心の底から訴えたいが抵抗するだけ無駄なのさ。
「ちゃんと返しますよ。この松が全身全霊で誠心誠意あなた様の要求にお答えします」
「よく言った。じゃあ他の人には頼みにくいこと頼むかな」
「喜んで慎んではにかんで割勘でお引き受け致しましょう」
「桜路って知ってるよな?」
「…知ってますよ」
ギャグって流されると寂しいよね。
さておき。
桜路とは、学校の近くにある桜の名所でロードワークでいつも通る。春には花見客で一杯になり、回り道をしなくてはならない位に賑わう。
「知ってるなら話が早いな。来年の花見の場所取りを頼む」
「お断わりします」
即答した。
桜路の花見の場所取りは聞いた話じゃ戦争らしい。
「人数は五人位だけど狭いのは嫌だから倍のスペースは確保な」
聞き流された。
いくら何でも戦争に行けとは厳し過ぎません?それに花見する頃にはもう卒業してるぞ。
「在、学、中に恩を返したいな〜」
「ん?殊勝な心掛けだな。じゃあもう一つ在学中に出来ることを頼もう」
墓穴を掘った。まあ一度乗った船は泥だろうが笹だろうが最後までだ。それがせめてもの責任の果たし方ってやつだろう。もうやけくそ。
「なんすか?」
「まっちゅん、自棄になっちゃいけない」
ぶるっ。
誰のせいだよ?
と、その時。
ぶるぶるぶるぶる…。
一瞬、校長がまっちゅん連呼してるのかと思ったらマナーモードにしていた携帯の振動だった。
「あの、電話出てもいいすか?」
「誰から?」
「え〜と……(高野だ)、やっぱり廊下で話してきます」
「いいよ、ここで話せよ。横で聞いててやるから」
くそっ、面白そうな気配を感じ取ったか。
別に聞かれて困る会話をするつもりは無いが、何か嫌な予感がする。
「どうした?出ないのか」
校長は、早速面白がってニヤニヤ笑ってる。
ちくしょう、もうどうにでもなれ。
俺は、通話ボタンを押した。
「はい。こちら警視庁」
『何くだらない事言ってるのよ』
ああ、これだ。
今になって確信。
俺は高野が好きなんだな。何で?とか今更?なんて言ってくれるな。俺だって今そこで聴覚を最大限研ぎ澄ましてる人に言われるまで気付かなかったんだから。
いや、何となくは解ってたつもり。ただ理由が解らなかった。こんな事に理由なんて無いかもしれないが、今その理由を実感した。
「どうしたんだよ?」
『練習試合終わったから連絡しようと思って』
「そんなのメールでいいじゃないか。俺は好きだぞ、お前のメール」
『………』
「ごめん冗談です調子乗り過ぎました許して下さい」
『………』
あれ?何で黙る?怒った?怒らせちゃった?やだやだどうしよう。
「もしも〜し、みなみちゃ〜ん」
『………』
やばい。嫌われちゃった?
『よかった、元気そうで』「うん?」
『心配…したんだからね。ばか』
「あぁ、ばかだよな。それより試合は勝ったよな?」
『うん。勝ったよ。松君いなくなってから打線が爆発したんだから』
「そうか…」
黒根があの後どうなったか気になるが、高野にそれは聞けない。後で古森に聞こう。その前にアンパン買わなきゃな。
『松君?』
「ん?」
『辞めないよね。野球部』
「何で俺が辞めるんだよ」
『…何となく。本当に辞めない?』
「俺から野球とったら何が残るんだよ」
『え〜と、お笑い?』
「そうだそれがあった。それも悪くないな。これを機会にってこらぁ〜!ふざけるな、いや、ふざけさせるな」
校長、豪快に笑わない。
って。
「ああっ!」
『どうしたの?』
思わず声が出た。そりゃ出るわ。ここがどこか思い出した。聴覚を研ぎ澄ますまでもなく俺が誰と話しているのか気付いたな。
校長と目が合った。妖しく光ってた。手にはいつのまにかどこからか取り出したホワイトボードが。
そこには、二つ目の恩返しは高野ちゃんをデートに誘えと書いてあった。
いやいやいや無理だって馬鹿じゃないの?
『松君?』
「え?あぁ何だっけ?」
『今どこにいるの?』
「今?今ですか?どこにもいません」
『真面目に聞いてるのよ』
「わかってるよ…」
さてどう答えるべきか思案していると、再び校長が、今度は恐るべき内容が書かれたホワイトボードを差し出してきた。その内容に驚いたせいで高野が何か言ったのが聞きとれなかった。
ホワイトボードには、誘わないと「松先輩パンツくらい履いてください」って言うと書かれていた。
校長…それ脅迫の域に達してます。
先輩ってあたり絶妙にリアルに聞こえるから絶対にやめてくれ。
さて、おさらい。
俺たちはこの時ハイテンションになっていたんだ。
だから、俺のハイな思考は校長のハイな要求に仕方なく答えた。ノリって本当恐い。
「今度デートしよう。お願い!」
『……わかった』
ずいぶん渋い声だな。まるで入学当初から怒鳴られ続けてるあの声みたい、というか今の監督の声じゃなかった?いつのまにっていうか今俺すごい恥ずかしいことになってない?
「…監督?」
『なんだ』
ずばりだった。なんてこった、デートに誘った相手が監督でしかもOK。色々言いたいが誤解を解くのが先だ。
「もちろん冗談ですよ」
『じゃあ明日八時に部室来い』
じゃあって何だ。
「実は本気だったり…」
『だったら七時に来い』
なぜ早まる。
「なにするつもりですか?」
電話が切れた。
さて、明日の朝七時までに世界が終わっても文句言わない。だから…降ってこい隕石!
結局どちらも掛け直さなかったので電話は終了した。嫌な終わり方。
校長にあれこれ聞かれ適当にあしらったおかげで報告書の提出を義務付けられた。
隕石じゃなくていい。
この際何でもいい。
降ってこい!
続く!コメントはコメ場4にお願いします。
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