(6)
試合は滞りなく進む。チャンスピンチを繰り返すが、実力はこちらが上で有利な展開…と言っても1点先制しただけだけどね。しかし俺が気になるのは目の前で打席に立つ黒根という男。試合前に俺は相手校の主将である黒根と握手を交した。その時黒根は、あんたが松か?と聞いてきた。そうだけどと答えると、へぇと妙に含みのある笑いをされた。なんだよ?
今更な気がするが俺は捕手をやっている。去年の部長も捕手で俺は控だった。よくバッテリー間は夫婦の様だなんて聞くが、俺もそうだと思う。去年までの古森は試合中とても投げにくそうだった。曰く、「俺と部長ってキャラ被るんだよなぁ」らしい。確かに二人とも気遣いさんだからな。似たもの通しなら馬が合いそうだが、そうでもないらしい。俺達の代になって古森は伸び伸びと投球するようになった。曰く、「松だと気ぃ使わないから投げるのが楽」だと。どうせ俺はデリカシーないよ。ほっとけ。
古森にサインを送る。初球は様子見。
「お宅の新マネ超可愛いじゃん。紹介してよ」
黒根が話し掛けてきた。試合中に、それも打席に入ってる時に何だ?
構わず捕球(構ったら捕れない)。判定はボール。黒根に一瞥くれてから古森に投げ返す。
「つれないなぁ松君」
打つ気無さそうだしストライク取りに…今松君って呼んだか?何と呼ばれようが気にしないが松君はやめろ。
話は逸れるが、この辺りからの出来事を後にある人に語る事になる。
2球目。直球ど真ん中を簡単に見送る黒根。その間に今度は高野の事を話しだした。何でも同中だと。それがどうした?
3球目。同じ球を見逃す。カウントは2-1。「あいつ、俺に告ったんだぜ。もちろん振ったけどな」
だから、それが何だっていうんだ?
「二人とも、私語は慎みなさい」と球審に注意された。俺は無意識の内に言い返していたらしい。
4球目。ぶつけてしまえのサインに古森は首を横に振った。「あいつの下の名前南って完全に名前負けしてるよな」
古森。頼むからぶつけてくれ。無性に腹立つ。黒根が喋っていること、それはいつも俺が口にしていることと変わり無い。自分も高野の事を馬鹿にしているのに、他人が高野の事を馬鹿にすると何でこんなに頭にくるんだろう。
結局古森が死球サインに頷く事はなかった。まあ当然だよな。フォークボールで三振を取ることにした。振るか解らないからストライクゾーンに納まるように頼むぜ。
「せめてもうちょっとでも可愛ければ初めてくらい貰ってやってもいいんだけどな」
黒根のその言葉を聞いた時、最初は意味が判らなかったが、すぐに思い当たり怒りが込み上げてきた。
もう我慢ならん。
「おい」と黒根に話し掛けようと立ち上がったら、黒根は突然走りだした、一塁に向かって。何だ何だ?
「松!早くボール追え!」
古森が何やら叫んでる。うるさいな、それどころじゃ…あれ?古森、何で球持ってないんだよ?いつ投げたんだ?ボールを追え?
古森の視線を辿って後ろに振り向くと、ボールが転がっているのを発見した。そこで、ようやく何が起ったのかを把握した。
振り逃げ。
後逸した球を掴んだ時には、黒根は既に一塁を廻って二塁に向かっていた。急いで投げたが間に合わずセーフ。振り逃げで二塁まで行かれてしまった。そんなのありだっけ?
当然のように古森が近づいてきた。今のは完全に俺のミスだ。喜んで怒られようじゃないか。
「何やってんだ松。集中しろよな……って、松どうしたんだよ?」
「何が?」
「何って、お前すごい顔してるぞ」
すごい顔って何だよと思ったが、すごい表情をしてると言いたいらしい。そういえば以前高野のメールにもすごい顔って使われていたな。流行か?
とにかくだ、言われてみれば顔が強張っているような感じがする。今鏡を覗いたならば、般若か鬼が見えるだろうて。
「ま、やっちゃったもんは仕方ないわ。何とか切り抜けようぜ」と言い残して戻る古森。あぁ気を使わせてしまった。すまん、後でアンパン(古森の好物、つぶあん限定)奢るから許して下さい。
(……それにしても)
許せないのは黒根だ。
結果的にノーアウト二塁のピンチを迎えた。次の打者はどこから仕入れたのか紗夜ちゃん情報によると、長打力は無い。とすると状況からして犠打か。おもしろい。
強気の直球を投げさせると思惑通りのバント、そして捕飛。古森の直球はなぜかバントが難しい。名人の俺が言うんだから間違いない。
小さく打ち上げた球を好反応で捕る。見ると黒根は二塁を飛び出していた。ダプルプレーもいけそうだ。
二塁に送球する刹那、先程の黒根の言葉がよぎった。そして一一無意識だと信じたいが一一あろうことか黒根めがけて投げてしまった。もちろん二塁に戻る黒根に当る訳がなく、大暴投。黒根は三塁へ進んだ。犠打は防いだ、しかし結果は1アウト三塁。犠打されてた方がマシだったな。みんな呆れてる。
と、まあここまでは少し取り乱しはしたけど何の問題もない。事件はこの後に起きた。
次の打者に外飛を打たれた、比較的浅い左飛で犠飛になるかは微妙な所だったが、黒根はスタートした。足に自信があるんだろう。
レフトから直接いい送球が来た。
滑り込む黒根。
クロスプレー。
「……っ」
「セーフ!」と球審は高らかに宣告した。
同点に追い付かれた。思えば俺が一人で失点したようなもんだ。
「ありがとな、松君」と黒根。松君って呼ぶんじゃねえよ!
瞬間何かが俺の中で弾けた。後になって考えると、その時俺の頭の中は何かで一杯になっていたんだろう。あるいは何も考えられなくなっていたのかも知れない。よく覚えてないが、気付いたら右手を強い力で掴まれていた。監督だった。そして俺は自分が黒根に馬乗りになって胸ぐらを掴み拳を握っている事に気付く。しかし取り返しのつかないことをするまでは到らなかったらしい。殴る前に止めてくれたのだ。監督はいつのまに近づいたんだろう?
「やめなさい」
入学当初から怒鳴られ続けたその声に俺は冷静さを取り戻す。前にも同じような事があった。監督がドッキリのプラカード持ってたっけ。でも今は誰もプラカードなんて持ってなかった。夢でも嘘でもない現実。
「なんだよお前?マジありえねえよ」
俺に乗られてる黒根が呟いた。黒根にしてみたら、ただ名前を呼んだだけで掴み掛かられたようなもんだからな。
すまん…俺にも何が何だか解んねえよ。
周りには俺が判定に納得せず黒根に掴み掛かったと見えたらしい。そういうことにしておいてくれ。
結局この場は、俺が選手交代という名の退場処分を受けることで収まった。本来なら試合も終わりかねない状況だけど、もう関係ない。
荷物をまとめ、相手ベンチに向かって頭を下げ、監督に謝り、その場を後にした。誰も何も言わなかった。何か言って欲しい訳じゃないけどさ……。危ない奴と思われたろうか?高野は心配顔、紗夜ちゃんは何故か申し訳なさそうに俺を見ていた。そんな顔するなよ。
俺は二人を安心させるために笑ったつもりだが、何とも場違いで不適な笑みだっただろう。
(7)
グラウンドを出たらすぐに声を掛けられた。
「おい、ばか」
一瞬誰かが追い掛けてきたと期待したが、聞き慣れない声だった。声の方を向くと女性が立っていた。背が高く細身の美人。いつぞやのランクだと特Aに属するだろう。年齢は20代後半か?高級そうなセーターに年季の入ったジーンズ。その上に白衣を纏っていた。変なファッションだが着る人が着ると恰好いい。それにしても誰かに似ている。誰だ?ていうか今ばかって言いました?
「なんですか?」
「なんですかじゃねぇよばか」
まさかと思ったけど俺をばかと呼び止めたのはこの人で間違いないらしい。
「何か?というか誰ですか?」
「てめぇの学校の保健医も知らねぇのかおめぇは?」
確かに、白衣で予想は出来たけど。
「生憎保健室登校児じゃないんで」
精一杯の皮肉で答える。いつか口は悪いけど面白い保健の先生がいるって話を聞いた事があるのを思い出した。この人か?
「生憎この学校に保健室に通うばかはいねんだよ。ばぁ〜か」
絶対この人だ。関わりたくないなぁ。
「で、何か?」
「でとか言うな、殺す。足怪我してんだろ。診てやるから保健室来いよ」
「…平気です」
誰も気付いてないと思ったがクロスプレーで足を痛めた。
でも嫌な予感がするので遠慮した………はずなんだけど、「うっせぇ、私が珍しく自分から診てやるんだからおとなしく来い」と言って近づいてくる保健医。何を笑ってるの?すげえ恐いんですけど。
思い切って逃げようと思ったが、それより早くヘッドロックされ、連行される。
しばらくして、「どうだ?大人の胸の感触は?」と聞かれた。言われてみれば先程から横乳が頭に当って心地いいような…。うん、悪くない。
じゃなくて!
そうじゃなくて!
「自分で歩きます」
「遠慮すんな童貞」と更に押しつけてくる。
「そうですか。ではお言葉に甘えて、ってばか!ばかばかばか」
乗りでヘッドロックを解除した。危ねぇ危ねぇ。落ち着け。おちつけ。オチつけよ。オチ付けろ?どうやって?
「お前気に入った」
何故か気に入られた。全然嬉しくない。
セクハラに脳内パニック。そんなやり取りをして保健室に到着。
驚いたことに普通の治療。珍しくと言っていたから不安だった。雰囲気からして傷口に酒吹き掛けられる位は覚悟してたが、そういうのはなかった。
「まっちゅんさぁ」
ぶるっ。
「なんですか?その背筋が寒くなる呼び方」
「松だからまっちゅんだろ。じゃあ童貞」
「ばかでお願いします」
一歩引いたが得と判断。それにしても何で俺が童貞なの知っているんだろうね?
「あっそ。松は沸点が高いか低いかわかんねえな。さっきからからかってるのにキレねぇもん」
結局普通に呼ぶのか。遊ばれてるね。嫌な感じしないけど。
「俺はキレません」
「さっき思いきり相手に襲い掛かってたじゃねぇかよ」
あう。見てたか。
「判定に不服。て事は無さそうだったけど何で?」
「………」
「黙るな」と人差し指で突かれた。「お前はすでに、吐いている」
「…自分でもわからないですよ」
秘孔を突かれたわけではないが俺は語った。経緯やその時の感情。うまく伝わったのか自信ないけど。保健医は茶化す事なく聞いた。
「結局松は高野ちゃんが好きなの?」
「好き。なんですかね?」
「聞くなよ。てめえの感情だろ」
「すいません」
「でも嫌いじゃないよ。好きな人が馬鹿にされて本気で怒れるばか」
「そりゃどうも」
「でも暴力はまずい。夏大出れなくなったらどうすんだ?」
暴力的な人に言われたくないが正論なので無抵抗。
「皆が迷惑するのは嫌です」
「聞いた限りじゃ向こうにも原因があるわけだし殴ってないんだろ?」
「止めなきゃ殴ってました」
「つまり?」
「殴ってないです」
「じゃなんとかなるんじゃないか?校長に相談してみれば」
「校長ですか?」
ビッグネームが出てきた。
「そう、困った時は校長に相談。生徒の責任は校長の責任。授業料払ってるんだからそれぐらいしてもらえ」
「めちゃくちゃですね」
「そのめちゃくちゃに頼るしかねえんだろ?」
「そうです…ね」
「じゃ行ってこいよ」
「今ですか?」
「今だよ、今行け、今しかない」
「では。いま、会いにゆきます」
「おう、そのユーモアも嫌いじゃないぜ」
「何か、色々世話になりましたね」
社交辞令のつもりが、保健医に「貸しだからな」と念を押された。
「マジすか?まあいいですよ。それじゃ」
保健室を出るときに、校長室の場所を知らないのに気付く。校長も会った事ないな。集会とか式は代理の教頭だもんな。何してんだろう?
「校長室ってどこですか?」
振り返りながら聞いたら保健医が転けた。白衣を脱ぐ途中で見方によってはイナバウアーな転け方だ。貴重な瞬間。
「何してるんですか?」
「うるせえな着替えようと思ったんだよ。早く行けよばか変態エッチ」
すごい言われようだな。
「だから場所…」
「保健室の隣が校長室。覚えとけ」と隣の方向を指差す保健医。
保健室を出て横を見ると、本当に校長室があった。都合いいなぁ。
ん?
ここで閃く。この流れと最近の傾向を考えるとそれしかない。
少しだけ躊躇したが意を決してノック。
「………」
返事はない。が、
「失礼します」
構わずドアを開けた。予想通り、値が張りそうな椅子に、やはり値が張りそうなスーツに着替えた保健医が座っていた。やっぱりね。
以下、続く
やっぱり終わらない…。
感想などがあればコメント用の場所までおねがひします
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