「狩野、本当にありがと。助かったわ」
椎名のお礼が、先程のなつきちゃんと同じ言い方でなんとなくおかしかった。さすがに投げキスはなかったけど。
「これで赤点取っても俺は知らないからな」
「大丈夫よ、その時は補習もよろしくね」
「………」
いったい何が大丈夫なのだろうか。それに俺は補習の面倒までみたくない。
「なつきちゃんに頼めばいいだろ」
「あぁ…うん、そうだね」
少し残念そうな椎名。何をがっかりしているんだ?補習なんてしないに越したことはないだろう。
「じゃあ帰ろうぜ。さすがに疲れた」
いくら誰も注意しに来ないと言っても、いつまでも学校に残っているわけにはいかない。
学校を出るまで椎名はおとなしかった。勉強が終わってテンションが下がるなんてらしくない。まぁ、あれだけ一気に頭に数学をたたき込めば疲れもするだろう。昇降口を出たところで俺から切り出した。「椎名、帰りは?」
「えっ、なに」
椎名は突然俺に話し掛けられ驚いたようだ。
「帰りだよ。俺自転車だけど」
「あたし電車」
俺は学校から自転車で20分程のアパートから学校に通っている。大半が電車通学で占められるうちの生徒の中では少数派だ。椎名は大多数がそうであるように電車通学で俺と帰る方向が違う。校門を出て俺は桜路の方へ向うが椎名は駅に向う。
「駅まで送ろうか」
最近はやたらと物騒だからな。まだそれほど暗くないし必要ないと思うけど俺にもこれくらいのシャコウジレイってやつが出来る。
もちろん椎名が断わると予想した上での提案だったが、椎名がなぜかここで「うん、お願い」と元気を取り戻すからまた少し帰るのが遅くなる。
「はい、ブレンドお待たせ」とくるみさんが俺の注文したコーヒーを持ってきた…いい香り。
駅そばのカフェロンという椎名の知り合いが経営しているらしい喫茶店で俺は椎名と向かい合ってお茶をしてた。椎名から寄っていこうと誘ってきて、俺としては断わる理由がなかったからな。
店内はカウンター席といくつかのテーブル席があるだけで小ぢんまりとしていて、静かにクラシックが流れるいい雰囲気の店だと思う。店員は、椎名の母親の同級生らしいマスター夫婦の亮さん、茜さんと娘のくるみさんだけだ。という話を、コーヒーが来るまでの間に椎名から聞いた。
「それにしても侑ちゃんもついに彼氏を連れてくるようになったか。どうりで年をとるわけだ、なぁ母さん」と亮さん。カップを磨きながら隣の茜さんに話し掛ける。茜さんは、そうだねぇとしみじみ皿を拭く。俺は椎名の男としてここの住人達に認知されてしまったらしい。いい迷惑だ。
「本当いいわね高校生は近くに出会いがあって」と、嫌味を言うのは短大生のくるみさん。椎名の頼んだミルクティーを持ってきてそのまま向って椎名の左側に腰掛けた。ショートの跳ね髪から覗く耳にはピアスが飾られている。整った顔立ちにあどけなさを残せるのは化粧力なのだろうか?エプロン姿の下は淡いグリーンのブラウスに黒のミニだ。きっと彼女目当てに足繁く店に通う常連客も多いだろう。もっとも、今店内に他の客はいないが。
「ちょっとみんなやめてよ、あたしと狩野はそんなんじゃないんだからさ」
その通りだ。しかしなぜか否定してる椎名が楽しそうにしてるのが納得いかない。そこはちゃんと否定するべきじゃないのか。
「そんなに照れなくていいじゃない、ねえ狩野君」
「いえ、俺と椎名は付き合っていないんですよ。残念ながら」
このままではしょうもない誤解を生んでしまうからきっぱり否定した。
「ほら、残念ながらだって侑子。狩野君はその気みたいよ」
くるみさん、何か間違えてません?俺はみんなの期待に対して残念ながらと言ったんですけど。
(………ん?)
くるみさんが片目をウインクさせて俺に何かを訴えてくる。何だろう?
(まさか…)
もしかしてもしかすると私に任せなさいとかそんなような事を言いたいのか?俺には全くその気がないのに。
俺の表情をどう捕らえたのか、今度はしきりとうんうん頷くくるみさん。いや、だからさ…。
「侑子はどうにゃのよ~?ほれほれ」
左足を大胆にも椎名の両足の間に上から割り込ませ、肩を抱き寄せ妖しく迫るくるみさん。なんかエロい。
「ちょ、くるみちゃん、やめてよ」
「ほら白状しなさいよ。好きなんでしょ?かぷ」
「ひゃっ」
あ、耳噛んだ。
「何してるんですか」
「狩野君は黙ってて。侑子は耳が弱点よ。覚えておきなさい」
………何のために?
その時、喫茶店の出入口に付いた鳴り物が、カランカランと来客を告げた。新しい客が来たみたいだ。
「………ちっ」
くるみさんは、舌打ちして接客に戻っていった。おいっ、この空気はどうしてくれるんだ。
「………」
その後、二人ともどうしていいかわからず、無言で飲み物を飲んでいた。あぁコーヒーうまい。これは何をブレンドしたんだろう。利き缶コーヒーが得意な俺に言えることは…マスターはただ者じゃない。缶とは比べ物にならない。しばらく缶のは飲めない。きっと茜さんもこのコーヒーに落ちたかもしれないな。マスター、罪な男だぜ。と、まあ俺は別に無言でいることを苦痛とは思わないのだが、先程から椎名は落ち着かないらしい。ちらちらとこちらを見て目が合うと俯いてしまう。
いいかげん椎名が辛いだろうから俺から話を振ることにした。
「椎名はここによく来るのか?」
「う、うん。帰り道だし」
「ふ~ん」
「………」「………」
「…やっぱりなつきちゃんと来るのか?」
「ううん、来るときはだいたい一人かな」
「ふ~ん」
「………」「………」
「……だいたい?」
「え?あ、いや…母親とたまに一緒に来るけど…どうして?」
「いや、別に…」
「………」「………」
自分でも意味のないことを聞いてるなと思った。しかし、何を話せばいいのかがわからない。椎名のこと全然知らないんだよな。耳が弱いのはさっき知ったけどどうでもいいよな。
「こ、この前は紗夜と一緒に来たかな」
「加藤か…」
それを聞いて思い出すことがあった。
「そういえば、前から一度聞きたいと思ってたんだけどいいか?」
「うん、何」
「椎名は何で姉御なんだ?一番最初に呼んだの加藤だったよな?」
あれは五月の連休明けくらいの事だ。出席番号の関係で俺の前の席に座ってた加藤は、いきなり俺に対して野球部のマネージャーをやると宣言した。俺は何となくS宮ハルヒを連想してしまったが冷静に「何で俺に言う?」と切り返した。するとハルヒ…じゃなくて加藤は「昨日キョンが帰った後、図書室に野球部の部長が来てスカウトされたのよ」と言った。
あの日の加藤はとても上機嫌で変なあだ名を楽しんでいた。なぜか俺のことをドンピシャのタイミングでキョンと呼んだのが印象に残っていたから覚えている。そしてその時椎名に姉御もマネージャーやらない?と言っていたのが確か最初だったと思う。後にも先にも加藤が俺をキョンと呼んだのはそれっきりだったが、姉御は定着した。
「ほら、あいつが野球部のマネージャーやるとか言いだした時だよ」
「………?」
「覚えてないか」
椎名にとっては印象的な出来事じゃなかったという事か。
「しかしあいつも忙しい奴だよな。この間までマネージャーだと思ってたら今度は探偵クラブだったか」
「何それ」
「新しい部活を作るんだとさ」
「あ、その話はこの前ここで聞いた」
「…何て言ってた?」
「今度新しい部活を作るから参加しない?って」
「活動内容は聞かなかったのか?」
「教えてくれなかった」
詐欺師め。椎名が騙される前に俺から説明しておこう。
「あいつは探偵クラブという妙な団体を作りたいらしい。しかもなぜかメンバーに俺が加わっている」
つい先日、いつかの様に加藤は俺に対していきなり新しい部活を作ると宣言した。俺にはいよいよこいつがS宮ハルヒ本人なんじゃないのかと思えてきたが、努めて冷静に「何で俺に言うんだ?」といつも通り聞いてみた。すると加藤はフフンと鼻息荒く不敵な笑みでこう言ったのだ。曰く、「強制参加が義務付けられているのが前世からの遺言だって朝の占いに出てた」らしい。意味がわからないよな。当たり前だ、意味なんてないんだから。
「何で狩野が?」
ほら、椎名だって思うだろ?何で俺なんだと。一応自分なりに辿り着いた答えがある。
「たぶん俺が本好きだからだと思う」
「えっ!…嘘でしょ?」
「何驚いてるんだ?椎名も俺の本好きは知ってるだろ。あいつは俺がいつも推理小説とか読んでるから探偵が出来るとでも思ってるんだろう」
もしくはコーヒー好きだからかもしれない。しかし残念ながら俺は探偵に向いていないと思う。なぜなら俺は本格モノの推理小説でズバリ犯人を当てたことがないからだ。当てずっぽうなら何回かあるけど。
「あっ。あ~、本が好きだからか。それで参加するの?」
「知らん、俺は参加する気がなくても勝手にメンバー入りみたいだからな」
「じゃあ、あたしも参加しようかな」
「本気か?物好きだな」
「いいじゃない、楽しそうだし」
「…そうか?」
今までの会話の中でどこに楽しさを見出だせたのかは疑問だがいいだろう。今のままじゃ最悪メンバーは俺と加藤の二人きりみたいだからな。
その後、明日のテストの話題になり、なぜか数学で勝負することになって、敗けた方が勝った方の要求を一つ受け入れるというお約束な約束をしたところでようやく自分が再び手ぶらなことに気付き、椎名に謝り先に帰ることにした。
「なんだもう帰っちゃうのかい」
と亮さん。
「ええ、学校に忘れ物をしてしまったので。コーヒーおいしかったです」
「またおいで、今度はもっとうまいのを飲ませてあげよう」
もっとうまいのがあるのか。それは楽しみだ。
「ありがとうございます」
お金を払おうとした俺を亮さんは「侑ちゃんの彼氏からお金は取れないよ」と断った。そう言われたらなおのこと払わないわけにはいかない。
「こういう事はきっちりしておきたいので」
俺は椎名の彼氏じゃないのだからな。そこんとこよろしく。
「そうかそうか、若いのにしっかりしてるな。侑ちゃんもいい人見つけたなぁ母さん」
「そうだねぇ」
…いったいここの人達はどうしたら分かってくれるんだろうか。
店を出たところでくるみさんが追い掛けてきた。
俺の肩をポンポン叩き「狩野君。くれぐれも侑子の弱点は耳だからね、グッジョブ!」と親指を立て行ってしまった…。だからその助言は何の為になるんですか?あと最後多分グッドラックと間違えてますよ。
(続)
くるみはみるくの反対でA比奈さんとは関係ありません。と言っても全く説得力がありません。普通のお姉さんキャラを目指したはずがなぜか小悪魔ちゃんになってました。
いまさらですが狩野はかのうと読みます。
嘘虚はフィクション確定です。そこよろ。
次回からようやく本編突入するのかな?ここまでは前フリのようなもんです。しかしこのまま本編無視してラブコメっぽい路線を走りたいような気もします。
感想などがコメントされると非常にうれしいのでよかったらと言いたいのですが作品はまだ途中なので、もしよかったら待ってます。
それでは、また。
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